武蔵一宮 氷川神社

氷川神社について

拝殿

鎮座地

〒330-0803
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

御祭神

須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)

例祭日

8月1日

社殿

流造

境内地

約三万坪

由緒

氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられます。第十二代景行天皇の御代、日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっております。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。第四十五代聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、第六十代醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、又臨時祭にも奉幣に預かる等、歴朝の崇敬を殊の外厚く受けてまいりました。武家時代になっても、鎌倉・足利・北条・徳川氏等相次いで当社を尊仰し、社殿の再建や造営を行っております。

明治天皇の御親祭

明治元年、明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり氷川神社親祭の勅書(祭政一致の勅)を賜りました。次で同年10月28日に明治天皇は当社に行幸、御自ら祭儀を執り行わせられ、更に3年11月1日再び御親祭あらせられました。次で明治4年5月14日に官幣大社に列せられ、明治11年8月31日には明治天皇が当社に三度目の行幸をされました。
大正6年には明治天皇御親祭50年祭、昭和42年には100年大祭、平成29年10月には150年大祭が執り行われました。

社名の由来

氷川神社の社名は二つの説があります。
一つは、「氷川大宮縁起」や『風土記稿』に、出雲の国の杵築大社(出雲大社)を遷して氷川神社の神号を賜ると伝わるとある事から、出雲の大河である斐伊川にちなむというものです。
もう一つは、鎮座地「高鼻」は、見沼の低地に突き出た大宮台地上にあり古代からの湧水地で、湧き出る清冽な泉は原始の氷川祭祀の対象で、古語で霊験あらたかな泉を表す氷川が社名となったというものです。
また氷川神社名の神社は当社から分祀され武蔵国を中心として北海道から鹿児島まで約280社あり、荒川の流域に多く鎮座しております。

御祭神 須佐之男命、稲田姫命の神話 八岐大蛇退治

須佐之男命が出雲の国の簸の川の辺りにくると、娘が一人、年老いた両親と泣いていました。娘の名前は稲田姫命。親の名は大山祇命の子で、足摩乳命、手摩乳命といいました。そこで須佐之男命が理由を聞くと、この山奥に八俣の大蛇という頭が八つもある怪物が住み、一年に一度この里にでてきては、娘を一人ずつ食べるというのです。そのため八人もいた娘も、今では稲田姫命だけになってしまいました。話を聞いた須佐之男命は、大蛇を退治することにし、まず、家の周囲に垣根をつくり、そこに八つの入り口をつけ、入り口ごとに強い酒を入れた大きな甕を置きました。しばらくすると辺りが急に暗くなり、不気味な物音とともに、大蛇がやってきました。それはそれは恐ろしい姿で、八つの頭にはギラギラと真っ赤な眼が気味悪く光っていました。大蛇は甕をみるや、ガブガブと勢いよく酒を飲みはじめました。須佐之男命は大蛇にそっと忍びよると、次々と切り倒して見事退治しました。最後にシッポを切ったとき、りっぱな剣がでてきました。須佐之男命は大蛇のシッポから出てきた剣を天照大御神さまに奉り、その後長く稲田姫命とこの地で暮らしました。

御祭神 大己貴命の神話 稲羽の白兎

大己貴命にはたくさんの兄がいました。それぞれが稲羽の国の八上比売に求婚しようと思い、荷物を大己貴命に持たせて連れて行きました。道の途中で赤裸にされた兎が伏せっていたので、兄神は「海の潮をたっぷり浴びて、風に当たり、日を浴びれば治る」と教え、兎がそうすると、傷はますますひどくなりました。遅れて来た大己貴命が兎に泣いている理由を聞くと「私は隠岐の島に住んでいたのですが、海を渡るのに、海の鮫にどちらの一族が多いか比べよう、私が数えるから一族を呼んでくれと言い、陸地に着くところで、うっかりだましたことを言ってしまい、鮫に毛皮をはがされてしまいました。それで泣いていたら、あなたの兄神にだまされて、私の体はすっかり傷ついてしまいました」と言うので、大己貴命は「すぐに河口に行って真水でよく洗い、蒲の花を蒔き散らした上に寝転がれば治る」と教え、その通りにすると、元の体に治りました。そこで兎は大己貴命に「八上比売はきっとあなたと結婚するでしょう」と予言し、その通りになりました。

御神徳

年ごとの例祭をはじめ、諸祭典では謹んで国家安泰と皇室の弥栄、氏子崇敬者の繁栄を祈願しております。
一般の生活が良いものとなる事が国家安泰への第一歩となるため、家内安全、商売繁昌、交通安全、縁結、安産、災難除、心願成就などさまざまな御利益を求め祈りを捧げられております。

氷川神社 年表

第五代孝昭天皇三年 御創立
第十二代景行天皇の御代 日本武尊、東夷鎮定の祈願
第十三代成務天皇の御代 出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が勅命により武蔵国造となり氷川神社を専ら奉崇
天平神護二年(766) 朝廷から封戸三戸が寄進
天安三年(859) 従五位上の神階を受ける
貞観五年(863) 正五位下の神階を受ける
貞観七年(865) 従四位下の神階を受ける
貞観十一年(869) 正四位下の神階を受ける
元慶二年(878) 正四位上の神階を受ける
治承四年(1180) 源頼朝、社殿再建
建武三年(1336) 足利尊氏参詣、足立郡大調郷寄進
天正十九年(1591) 徳川氏、高鼻村の内、100石寄進
文禄五年(1562) 徳川氏、社頭造営
慶長九年(1604) 徳川氏、上落合村の内、200石寄進
寛文七年(1667) 徳川氏、社頭整備社殿建立
承応三年(1696) 見沼溜井のため水没した朱印地の替地として新開村・田島村・大宮本村で計50石が与えられる
明治元年(1868) 武蔵国鎮守勅祭社の勅書を賜る
明治天皇行幸、御親祭を行う
明治三年(1870) 明治天皇行幸、御親祭を行う
明治四年(1871) 宮山約59300坪、上知令により収公
官幣大社に列格
明治十一年(1878) 明治天皇行幸、御親拝
明治十五年(1882) 本殿、拝殿、中門祝詞舎等改修し正遷宮を行う
大正六年(1917) 明治天皇御親祭50年祭を行う
大正十年(1921) 大正天皇行幸、御親拝
昭和九年(1934) 昭和天皇行幸、御親拝
神饌所竣工、表参道改修
片倉製糸紡績が三の鳥居を建立
昭和十二年(1937) 勅使斎館竣工
昭和十五年(1940) 本殿・拝殿・幣殿・舞殿・楼門等竣工
正遷座祭を行う
昭和三十年(1955) 参道入口に一の鳥居を建立
昭和三十九年(1964) 社殿などの修営事業が竣成し遷座祭を行う
昭和四十二年(1967) 昭和天皇行幸、御親拝
明治天皇御親祭100年祭を行う
昭和五十一年(1976) 二の鳥居の石鳥居を公園口に移築、跡地に明治神宮から移築した木造鳥居を建立
平成五年(1993) 天皇陛下行幸、御親拝
平成二十五年(2013) 祈祷殿神札所竣工
平成二十九年(2017) 明治天皇御親祭150年祭を行う
令和二年作成

令和十年には御鎮座2500年祭を迎えます。

周辺案内

大宮は当社を大いなる宮居と称えたことが地名の由来となった門前町としてはじまりました。交通の発達とともに大きく発展した大宮。「てつどうのまち」大宮、「まんがのまち」大宮、「ぼんさいのまち」大宮、さまざまな文化を発信する大宮の魅力を御紹介します。

大宮公園当社から徒歩1分

氷川神社の境内地から誕生した67.8haの広さを持つ県営の公園で、開園時は氷川公園という名称でした。桜の名所で花見の時期には大勢の花見客で賑わいます。公園内の県営野球場では高校野球や西武ライオンズの熱戦が繰り広げられます。また小動物園は小さなお子様連れのご家族の憩いの場所となっています。

県立歴史と民俗の博物館当社から徒歩10分

1971年10月に竣工した、旧埼玉県立博物館の建物です。2005年に生誕100年を迎えた建築家・故前川國男氏による設計で、日本芸術院賞、毎日芸術賞など数々の賞を受賞し、公共建築百選にも選定されています。明治天皇行幸絵巻や旧石器時代からの埼玉県の歴史がわかる常設展の他、様々な特別展を行っています。

さいたま市立博物館当社から徒歩10分

さいたま市に関する歴史・考古・民俗等の資料を収集・保存し、展示を行っています。 常設展示では、明治天皇行幸絵巻やさいたま市の歴史と文化を紹介、楽しく学べる郷土学習・体験コーナーもあります。このほか秋の特別展、春の企画展、夏の「夏休み子ども博物館」、冬の「さいたま市のうつり変わりと人々のくらし展」、各種の体験講座や古文書講座・市民大学歴史コースなどを開催しています。

鉄道博物館当社から徒歩30分

迫力ある実物車両の展示の他、ミニ運転列車やシミュレータの運転体験、鉄道の歴史や未来などが学べ、ショップやレストランも充実しており家族で楽しめる博物館です。車両の中や新幹線を眺めながら休憩・ご飲食ができる無料スペースで食べる駅弁は格別です。

大宮盆栽村当社から徒歩15分

関東大震災(1923年)で大きな被害を受けた東京の団子坂(文京区千駄木)周辺の盆栽業者が、壊滅した東京から離れ、盆栽育成に適した土壌を求めてこの地へ移り住みました。大宮盆栽村は、いまも名品盆栽の聖地として知られ、日本だけでなく世界から多くの愛好家が訪れています。

さいたま市大宮盆栽美術館当社から徒歩20分

世界で初めての公立の盆栽美術館で、盆栽文化の調査、研究を行うとともに、盆栽文化を広く世界に発信し、多くの方に親しんでいただくことを目的に開館しました。展示は、盆栽や盆器だけでなく歴史資料や浮世絵など見所満載です。盆栽庭園では常に約60点の盆栽が展示され、館最大の五葉松は日当たり調節のため回転式展示台に飾られています。

さいたま市立漫画会館当社から徒歩20分

漫画会館は、日本近代風刺漫画の祖である北沢楽天(きたざわ らくてん)の晩年の邸宅跡地に、漫画を文化として育てていくことを目的として昭和41(1966)年にできた日本初の漫画に関する美術館です。漫画会館では、北沢楽天の作品や現代漫画家の作品を展示し、漫画に関する様々なイベントを開催しています。

■埼玉の銘酒 埼玉県酒造組合

埼玉県内には三十五蔵の酒蔵があります。平成29年の明治天皇御親祭150年大祭にあたりその内、二十五蔵より四十個の酒樽の奉納を頂きました。