茅の輪神話
昔、北の海に住んでいた武塔の神(スサノオノミコト)が、
南海の神の娘に求婚をするために出かけ、途中で日が暮れてしまいました。
そこでその地で暮らす将来という二人の兄弟に「泊めてほしい」とお願いをしたところ、
豊かな弟・巨旦将来は宿を貸さず、一方、貧しい兄・蘇民将来は宿を貸し、
粟柄で席を作り、粟飯などの御馳走でもてなしました。
その後、何年か過ぎ、武塔の神は八人の子供を連れて再訪。
そして蘇民に「昔の親切に応えたい。お前の子供や家族は?」とお尋ねになりました。
蘇民が「私には娘と妻がおります」と答えると、
「では茅の輪を作って腰の上に着けなさい」とおっしゃいました。
蘇民は言われた通り、茅の輪を作って腰に着けさせました。
そしてその夜、蘇民の娘ひとりを残し悉く死んでしまったのです。
そして武塔の神は「私はスサノオノミコトである。後の世に疫病があった時には、
蘇民将来の子孫だと云い、茅の輪を腰に着けた者だけは疫病から逃げることができよう」と
おっしゃいました。
昔、北の海に住んでいた武塔の神(スサノオノミコト)が、
南海の神の娘に求婚をするために出かけ、途中で日が暮れてしまいました。
そこでその地で暮らす将来という二人の兄弟に「泊めてほしい」とお願いをしたところ、
豊かな弟・巨旦将来は宿を貸さず、一方、貧しい兄・蘇民将来は宿を貸し、
粟柄で席を作り、粟飯などの御馳走でもてなしました。
その後、何年か過ぎ、武塔の神は八人の子供を連れて再訪。
そして蘇民に「昔の親切に応えたい。お前の子供や家族は?」とお尋ねになりました。
蘇民が「私には娘と妻がおります」と答えると、
「では茅の輪を作って腰の上に着けなさい」とおっしゃいました。
蘇民は言われた通り、茅の輪を作って腰に着けさせました。
そしてその夜、蘇民の娘ひとりを残し悉く死んでしまったのです。
そして武塔の神は「私はスサノオノミコトである。後の世に疫病があった時には、
蘇民将来の子孫だと云い、茅の輪を腰に着けた者だけは疫病から逃げることができよう」とおっしゃいました。
現代へと続く
腰につけていた茅の輪が、時が過ぎるにつれて大きくなり、今は鳥居に設置されるようになりましたが、
当社では神橋に茅の輪を設置しております。
それは同時に、私たち日本人の「疫病が消えてほしい祈り」の強さに他なりません。
そしてその祈りに応え、古代からスサノオノミコトは見守ってくださっているのです。