武蔵一宮 氷川神社 ページの先頭
祭典のご案内

大湯祭

大湯祭は当社の特殊神事中最も著名なもので、元は当社の男体宮、女体宮、簸王子宮の内の簸王子宮の祭祀と伝えられ「武蔵州足立大宮氷川太明神縁起之書」によれば至徳2年(1385)12月10日に干柴薪を焼いて炉壇のようにし、これを踏む火剣祭礼を行ったとあります。また延宝年間(1673~1681)の社記には既に大湯祭の文字が見えております。「大湯」の由来は釜で湯を沸かし、その湯により清めを行った為と伝えられ、大湯祭は11月30日より12月11日まで12日間に亘る長い祭典です。

前斎 11月30日~12月9日



毎夜7時半に境内にかつての火祭りを伝えるかがり火をたき上げますが、この火にあたると無病息災、火防の御神徳にあずかれるといわれます。11月30日より大湯祭本祭の為に神職は境内に篭り潔斎致します。

本祭 12月10日



本祭は午前8時に斎行致します。米、酒、百味膳、菱餅、海老、長芋、串付の大鮒を、通常より大きな尺三方で御祭神それぞれに計21台お供えします。百味膳(百取膳ともいいます)は海川の物八種、山野の物八種で一膳とし、種々の神饌をすべて熟饌(調理した神饌)にして、本殿、摂末社あわせ百膳をお供えします。



この日は特別に御祭神の大己貴命(大国様)と少彦名命(恵毘須様)の御影(福神札)や福熊手、福財布、福種銭を授与しており、授与所が建つ境内の宗像神社は大いに賑います。
10日の本祭にあわせて酉の市がたつ為、十日市(とおかまち)ともいい、境内や参道に熊手や神棚(宮型)、様々な露店など約1000軒が立ち並び、大いに賑い手締めの声と拍手の音が響き渡ります。


後斎 12月11日

解斎のお祭で本殿祭の後、勅使館では饗膳式(きょうぜんしき)という古式床しい直会の儀が執り行われ「幾久(いくひさ)、幾久、幾久」と社頭隆盛の言祝ぎを発し、神酒を拝戴致します。


江戸期の大湯祭

江戸期の本社裏には奥山と呼ばれる杜が広がっており、11月下旬に祭木といわれる大湯祭神事に使用する薪を奥山より採取するところからお祭りの準備が始まりました。11月30日より毎晩、丑の刻(午前1時~3時頃)に神事を行い、12月7日から百味膳など神饌の調理を致しました。また、本社、境内社とも注連を張り替えお祭りの準備を整えました。10日の本祭は申の上刻(午後3時頃)に年番神主が斎主を務め太々神楽殿で神事を執行しておりました。神事は火剣祭として行っていたものを、延宝4年(1676)に当時の社家の一つであった氷川内記の請願により清祓いの祭りに改変されています。恵毘須・大国の神札は現在と同じく、宗像社前にて授与されておりました。祭典を終えると年番渡の盃が行われ、次年度の年番へ引き継ぎました。

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