武蔵一宮 氷川神社 ページの先頭
祭典のご案内

例祭


勅書

畏くも明治天皇は維新の大本を敬神の上におたてになられて明治元年10月17日に当氷川神社に上記の「氷川神社親祭の詔(祭政一致の詔)」を賜い勅祭の社と御定めになりました。また、桓武天皇が平安遷都後に賀茂神社をお祀りなされた例に倣い、同年10月28日に当社に行幸、御自ら祭儀を執り行われ、次いで明治4年に官幣大社に列せられました。
以後、毎年8月1日の例祭には勅使御差遣、また御付きの楽師により「東游(あずまあそび)」を御奉奏戴いております。
7月31日の宵宮より楼門内には崇敬者の描いた雪洞が、また楼門外には各町奉納の高張提灯が並び祭典に彩りを添えます。
例祭は8月1日10時より斎行され、各町内の山車、神輿が神橋前の参道を挟み勢揃いする中を、正装の衣冠を着用した神職が参進します。その後、同様に正装の勅使が御幣物(ごへいもつ)を捧持した随員と楽師を従え勅使斎館より本殿へと参進します。尚、祭典中、楼門内への入場は出来ません。

勅祭社

勅命により勅使が例祭に差遣され、幣帛(へいはく。神様のお召し物の材料となる5色の絹の反物)が奉奠される神社の事で、現行では伊勢の神宮を別格として賀茂別雷神社(京都)、賀茂御祖神社(京都)、石清水八幡宮(京都)、春日大社(奈良)、氷川神社(埼玉)、香取神宮(千葉)、鹿島神宮(茨城)、熱田神宮(愛知)、出雲大社(島根)、宇佐神宮(大分)、香椎宮(福岡)、橿原神宮(奈良)、平安神宮(京都)、明治神宮(東京)、近江神宮(滋賀)、靖國神社(東京)の16社です。

東游(あずまあそび)

古代、東国で行われていた風俗舞で、後に神事に用いられるようになりました。『三代実録』に貞観3年(861)の東大寺の大仏供養の際に舞われたとあり、次いで宇多天皇の御代、寛平元年(889)の賀茂神社の臨時祭に舞われ定着し、石清水八幡宮など各社にも用いられるようになりました。序曲の一歌(いちうた)、二歌(にうた)、舞を伴う駿河歌(するがうた)、求子歌(もとめごうた)からなり、歌人と伴奏楽器として和琴(わごん)、高麗笛(こまぶえ)、篳篥(ひちりき)、笏拍子(しゃくびょうし)がつきます。舞人は青摺(あおずり)の小忌衣(おみごろも)に帯刀、巻纓(けんえい)の冠に桜や橘など時期の花を挿します。舞は安閑天皇の御代、有渡浜(うどはま。現在の美保の松原)に天女が舞い降りた姿を模したと伝えられています。今日では宮中を始め、氷川神社、賀茂神社、春日大社等諸神社の祭典に奉奏されます。

例祭の変容

江戸期の大祭礼には「神輿祭」や「大湯祭」があります。当時は本殿が男体宮、女体宮、簸王子宮の三社に分かれており、三社同格として三社が一体となって氷川祭祀を行っておりました。
江戸期の「神輿祭」は旧暦6月14日、15日の2日間にわたり、14日に「仮殿神事、神秘神事」が行われ、翌15日に「神輿渡、神橋祭」が行われておりました。
明治天皇の御親祭を機に「勅使参向六月大祭 例祭」は6月14日、「神輿渡、神橋祭」は6月15日となり、明治5年の改暦後も同日に行っておりましたが、明治8年に農事繁忙により例祭日限引替の儀が上申され、例祭は8月1日に斎行となっています。例祭では奉幣使が参向し、楽師により御神楽の儀と走り馬の儀が行われておりましたが、明治7年より御神楽の儀は東游の儀に改められ、走り馬の儀は、その後廃されました。

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